震災を語る

震災を語る 第5回

第5回「日ごろからの近所づきあいは、いざという時のために必要だと思います」 稲谷 利輝氏(男性/人と未来防災センター・語り部)

私の体験

家の下敷きになったものの、布団に守られて無事でした

震災当時、私は中学校の校長という職にありました。須磨の自宅で就寝していた時のこと。突然、ドドドーッという音とともに凄まじい揺れに翻弄され、「これは大きな地震だ!」と直感しました。体を投げ上げられるような強い揺れと、家全体が軋む音。私の上には、色んなものが落ちてきました。そして最後に、ドスンと何か重たいものが体の上に落っこちてきたんです。恐ろしいことに、潰れた家の下敷きになってしまったんですね。これで火が出たら終わりだと思い、揺れがおさまるとまず家内を呼びました。台所の方から返事があり、運良くけがもしていないとのこと。2階にいた2人の子供たちの無事も確認できたので、とりあえず外へ出た方が安全だろうと思い、家の前にある公園へ避げるように伝えました。

うす暗い中に残された私は、家の下敷きになったまま。体にのしかかっているものを手で探ってみると、それは我が家の土壁でした。触ってみるとボロボロと崩れていったので、どうにか両手を広げ、両側から少しずつ崩して隙間を作っていき、やっとの思いでがれきの山から抜け出しました。奇跡的に、けがはなかったです。地震があったのは1月の寒い朝、スッポリかぶっていた布団がクッションになって私を守ってくれたんでしょうね。

日ごろの経験が活きたのか、チームワークで9人の救出に成功!

全壊した我が家から脱出した時は、まさに着の身着のままという状態。パジャマに裸足です。8割ほどの家屋が全壊という悲惨な状態に驚きながら公園に行くと、近所の人たちも集まってきていました。皆、ご近所同士の顔をよく知り合っていたので、どこの誰がいないのかをすぐに把握。まだ生き埋め状態の人がいるとわかると、家族を中心にグループを分け、道具なんか何もない状態で救出活動に向かいました。

家屋が密集していたため、家が倒れていても隙間はあるもの。倒れたタンスやがれきを素手で取り除きながら、腹ばいになって中へと入っては「どこにおりますか?」と声をかけました。タンスなどの下敷きになって自力で動けない人が多く、わずかに見えていた足をつかんでは、腹ばいのまま外へと引きずり出して救出しました。また別の家では、私の首に抱きついてもらい、そのまま後ずさりをするように引きずって助け出したこともありましたね。

私のいた中学校では学期ごとに避難訓練をやっていましたが、その訓練経験がどれほど活かせたかは、はっきりわかりません。でも、考えるより先に体が動いていたように思います。普段、指示を出す立場にいるせいか近所の人たちにも指示出しをしていて、気がつくと皆の協力で家の下敷きになっていた人たち9人を助け出していました。

避難者受け入れのため、まずは学校の体育館を開放

【写真】潰れた家屋

ありがたいことに、家族も近所の人たちも無事でした。少し落ち着いた頃、それまで考える余裕すらなかった学校のことが急に気になりました。生徒たちは無事なのか? 職員たちは? まだ電話が通じている家があったので、慌てて学校に連絡をすると、1人の職員がいち早く駆けつけ、変形したドアをこじ開けてようやく校舎内へ入れたとのことでした。

そこで私は、「これから多くの人が避難してくるだろうから、まず体育館を開放してください。体育館がいっぱいになったら柔道場、その次は特別教室を」と、避難者の受け入れを指示しました。やはり教室だけは、最後まで残しておきたかったですね。幸い、教室まで使うことはありませんでしたが、運動場には車で避難してくる人も大勢いました。

電話での指示を終えると、娘のセーターや息子のズボンをなんとか引っ張り出し、家族を近所の中学校に避難させた後、自転車に飛び乗り、とにかく学校へと急ぎました。

学校責任者としての行動と周りの協力

学校責任者として、避難者をどうやって受け入れ、どう対応したらよいのか…もしかしたら、マニュアルがどこかにあったかもしれません。しかし、当時はそんな手順などさっぱりわかりませんでした。とにかく、学校として出来る限りのことをするしかありません。教頭をはじめ、出勤できる教職員も駆けつけてくれたため、協力して対応していくことができました。

学校の周辺は、比較的被害が小さかったこともあって、避難してきた人たちの食べるものがないという事態は避けられました。それでも救援物資が届けば、教職員たちが総出でそれを配ったりするわけです。トイレ用にプールの水を汲み出したり、救援物資を仕分けたりとやることは山のようにありましたが、教職員に加えて、生徒たちも本当によく働いてくれました。私の判断で、寝たきりの家族を介護していて救援物資を取りに来られない人たちに食料や飲み水を届けようとした時も、生徒たちが引き受けてくれてとても助かりましたね。

「遠くの親戚より、近くの他人」を痛感しました

【写真】稲谷 利輝氏

被災した時、私は死んでいてもおかしくない状況でした。それからは、与えられた残りの人生を、ささやかながら人のために役立てようと思うようになりました。語り部として震災を語り継ぐ活動のほかにも、いま住んでいる地域で小さなボランティアをいくつかやらせてもらっています。もちろん、災害に対しての備えもしっかりしています。各部屋に懐中電灯を備えたり、車に3日分の食料と水を常備したり。忘れがちですが、避難場所を家族で話し合っておくことも大切ですね。自分だけは大丈夫だろうと過信することなく、いつ自分が災害に巻き込まれるかわからない、と思って準備しておいた方がいいと思います。

それと、私が痛感したのは日ごろからの近所づきあいの大切さ。「遠くの親戚より、近くの他人」とはよく言ったものです。近所づきあいにはわずらわしさが伴うこともあって決して楽ではありませんが、そうして苦労してでも積み上げてきたものというのは、いざという時に大きな力となるんですね。お互いの家族構成まで知っていたからこそ、皆の協力で9人の命を救うことができた。この事実が、近所づきあいをお勧めする最大の理由です。

(インタビュー 2004年12月28日)