震災を語る

震災を語る 第10回

第10回震災の年、空き地に苦労して咲いたコスモス。でも、3度目の秋は「もう咲かないで!」 米田 実氏(男性/人と防災未来センター・語り部)

私の体験

冗談交じりで話をしていたことが、実際に起こったのです

10年前の寒い朝、私は西宮市内の自宅で阪神・淡路大震災を体験しました。西宮のなかでは比較的被害が少なかった地域で、幸いなことに妻と2人の娘たちも無事。そうは言っても街の様子は変わり果て、私たちの生活も一転してしまったのです。

私は西宮市役所の市職員として働いており、「公務員たるもの、いざ災害が起きたら家族をほったらかしてでも駆けつけるから、覚悟しとけよ!」と、家族に冗談交じりで話をしたことがありました。そうしたら、本当にそういう状況になってしまったんですね。

市職員としての任務と対応しきれない悔しさ

【写真】米田 実氏

震災当日、市役所には6割くらいの職員が出勤しました。こうした大規模災害時は、役所の人間も被災者。亡くなられた方や、出勤できる状態ではない方もいらっしゃいました。我々は、役所を頼ってこられる大勢の方々のために対応しようとはするのですが、「機能」という言葉からはほど遠く…六甲山を素手で崩すくらい気の遠くなる、困難な状況でした。

最初に問題になったのは、棺とドライアイス。災害に備えて食料は備蓄しても、大勢の方が一度に亡くなることを想定して棺の備蓄などしているはずがありません。「いつ届きますか?」と聞かれても、時間稼ぎの回答しかできないんですね。悔しくて仕方ないけれど、何もすることができず「お待ちください」としか言えませんでした。これはいま思い出しても、本当に悔しかったです。

その他にも市職員の仕事として、米などの物資運びがありました。落ちかけの橋を渡り、交通渋滞のなか、回り道をしながら運びました。そして、派遣された避難所には500人くらいが身を寄せていました。そこに炊き出しとして届けられたのは、わずか120食ほどのおにぎり。3人に1つくらいしかないんです。疲労や空腹で皆が苛立ってくると「まだか!」と怒鳴られたりもしながら、配り続けました。自分も空腹の極みであったけれど、間違っても自分がそれを口にすることはできません。あの時は皆が苦しかったわけですが、我々にも別の意味での苦しみというものがいろいろとありました。

ほとんど飲まず・食わず・眠らずに3日間対応を続け、ようやく自宅に戻ることができたのですが、なかには不眠不休で倒れてしまった職員も。そこから3カ月は、朝の9時から翌日の夕方5時までという32時間勤務体制で対応にあたりました。2日に1回、家に帰るといった具合ですね。

それぞれ状況は違うけれど、たいへんなのは皆同じ

でも、たいへんなのは皆同じ。家に帰り、家族から水の配給を求めて4時間ほど並んだり、大行列のコンビニでカップラーメンと飲み物をやっとの思いで買ってきたことなど、私が家を空けていた3日間の話を聞いていてそう思いました。いつもあるものが、そこにない。それを実感した時、コップ1杯の水がものすごく大切に感じられましたね。電気は早くからついたり消えたりしていましたが、水道は復旧するまでに3週間もかかり、しばらくは水くみに通う生活でした。

こんな調子で、家に帰ってもゆっくり休める時間はありません。それでも給水に関する情報交換などで、近所の方たちと温かい心の交流があったりすると「お金より大事なものがたくさんあるな」と、これまでにあまり実感することのなかった気持ちに気づくこともありました。

誰かのお役に立てることがあるかもしれない、そして自分自身のためにも<

震災が起きた時、小学校6年生だった娘も今年卒業して社会人になりました。10年というのは、それほどの時間なんですね。もう、阪神・淡路大地震は遠い昔のこと…と少しずつ意識が薄れていってしまうんです。あの頃のような緊張感や危機感というものは身をひそめ、だんだんと話題に出しにくい状況になりつつあります。役所でも、防災の予算はだんだんと削られてしまって。当時の様子を知っている我々でさえ、やはり忘れていっている節があります。でも、それではダメなんですよね。尊い命と引きかえに我々が学んだ多くのことを、震災を知らない世代に伝える。それが使命だと思いますし、自分自身も話をすることで忘れないようにしなければと思っています。

震災後、苦労して咲いたコスモス。でも、3度目の秋は咲かないで!

【写真】コンサート風景

私は、自称「歌の語り部」として皆さんに「希望の発信」をしています。震災後の秋のこと、空き地にコスモスが咲いていました。まるで、そこに暮らしていた人が帰ってくるのを待っているかのようでした。苦労してやっと咲いたその姿を見ていたら、レクイエム(鎮魂歌)ではなく「被災地の希望」を歌にしたいと思ったんです。それから半年かけて歌をつくりあげ、コンサートを開くなどコスモスを通してメッセージを伝えてきました。しかし、空き地にコスモスが咲いているということは、そこに「人」が戻っていないということ。3度目の秋は「もう咲かないで…」そんな思いの歌詞も入っています。

私が個人で運営している「コスモスの詩」のホームページでは、その歌詞やコンサートの模様、コスモスに魅せられて各地で撮影したものなどをご紹介しています。ご希望の方にはコスモスの詩のCDもご用意しています。震災の恐怖は忘れたい。でも、忘れてはいけないですし学んだこともたくさんあります。1人でも多くの方にそれをお伝えするために、これからも語り・歌っていこうと思っています。

米田実さんのホームページはこちらです
「コスモスの詩」http://hccweb1.bai.ne.jp/yo-ne6614/
(インタビュー 2005年4月23日)