震災を語る

震災を語る 第38回

第38回「大震災で知った人とひとのつながりと絆の大切さ」有道  雅信さん(人と防災未来センター・語り部)

私の体験

キーワードは「さ」「つ」「き」

こんにちは 本日はようこそ『人と防災未来センター』に来てくださいました。私は有道雅信と言います。

今からお話します話のキーワードの頭文字は「さ」「つ」「き」です。

この施設は『人と防災未来センター』と言います。単なる「防災センター」でなく「未来のために」が込められています。そして何より「人と」という言葉がついていることに注目してください。「人」すなわち「命」です。

この震災で6400人ほどの方が亡くなられました。この内幼稚園から高校までの人は296人でした。何と無念だったでしょう。この子どもたちは大人になる前に命が絶たれました。物はお金をかければ再建できますが、命は戻ってきません。

当センターはこうしたかけがえのない命を悼み、これからの命を大切にとの気持ちが込められて造られています。

地震の当日

1995.1.17 5:46 これが兵庫県南部地震、阪神淡路大震災のあった日時です。

地震は1月17日、冬でした。朝方ですがまだ真っ暗でした。

私はこの時は学校の教師をしていました。震源は明石海峡海底、私の住居は明石市でした。

1月17日、私はどの時点で目が覚めたのかわからないのですが、一発目の「ドン」という縦揺れで目が覚めたのだと思います。

妻は私よりほんのわずか早く目を覚ましたようです。妻は隕石とかの天体が落ちてきたのではないかと思ったと言っていました。

2階建ての1階の部屋で妻も私もじっと布団に座ったままで揺れる時間が過ぎていきました。

私は家が「ちぎれる」と思いました。「壊れるとか」「つぶれる」とかでなく「ちぎれる」「ちぎれる」と思いながら何十秒かが過ぎました。

2階にいる娘や祖母のことまで頭が廻りませんでした。動くこと自体できなかったと思います。地震の際には、揺れたらすぐにガスを止めるとか玄関のドアを開けるとか言われていますが、それはそれができる地震、極端に言えばその必要がない地震の時のことだと実感しました。本当に何かをしなければならない揺れの場合には、実際には何もできないと実感しました。

揺れとともにすぐに電気が切れ、真っ暗。物が倒れたり、落ちたり、食器が落ちて割れたりする音は気づきませんでした。

恐らく一発目の「ドン」ですべての物は倒れ、落ちていたのでしょう。ガラスの破片などがそこら中に落ちており、スリッパなしで歩くことはできませんでした。懐中電灯をつけて部屋を見て廻ると、かなりの物が落ち、倒れていました。

子どもの部屋は軽いユニット家具を置いているため、それらはすべて倒れて足場が全くない状態でした。置いていた位置が頭の横でなかったため幸いにも怪我はありませんでした。

祖母の部屋は狭い部屋に家財道具一切を入れているため、仏壇をはじめかなりの物が倒れていました。顔に軽い傷を負って、ぼう然とした様子で布団の中にいました。家族全員命がありました。

電気はすぐ復旧しましたのでTVで災害の状況は把握できました。大変なことが起こったとの理解はすぐできました。

教育者として

教頭の立場としては、学校へ行かねばと心は焦りましたが、取りあえず、家の中を歩ける状態にしないと、と家の片付けをして、簡単な朝食、さらに片付け、昼食も簡単に済ませ、家を出、六甲山を北側から南へ抜けるルートで灘区にある学校に着いたのが15時頃でした。

午前中に数度校長宅に電話を入れましたがつながらず、校長と連絡がとれたのは夜帰宅してからでした。

学校には4人の教職員がすでに来てくれていました。ありがたかったです。

職場の人たちとの支え合いを強く感じました。「さつき」の「さ」です。

学校の建物は山手にあるためほとんど被害はなかったのですが、電話がつながらないため生徒の安否は確認できず、職員にも連絡は全くとれませんでした。

生徒の安否確認

生徒の安否確認は当初電話が不通で、また、電話復旧後も避難している生徒が多数で、確認には多くの日数を要しました。

出勤できる教職員が少ない中でしたが取りあえず避難所への貼り紙、マスコミへ学校情報の報道依頼を続けました。

そして、出勤できる職員が増えた段階から家庭訪問を行っていきました。壊れて留守の家には「学校へ連絡をしてください」という貼り紙をはってきました。また、この間、出勤できない教職員は自宅から生徒の家へ電話を入れていきました。

その結果、生徒とその家族、教職員が生存していたことが分かった時はホッとしました。不幸中の幸いでした。

学校の再開とお見舞い

2月1日に学校を再開することにし、前日31日に全校生を召集して「こんな時やけどな、頑張って皆で支えあってやるんやで」と伝えました。普段はやんちゃな生徒達がこの時は神妙に聞いていました。授業は変則で行い、卒業式は何とかすることができました。

この間あちこちからお見舞いが送られてきたのは大変嬉しかったです。今なお忘れられないのは北海道の全校生徒が3人の定時制高校からのお見舞いです。北海道立紋別北高校からのお見舞いでした。

ダンボールにトイレットペーパーやタオル、ノートなど家から持ち寄った物が入っていました。そしてその中には3人の手紙が入っていました。北海道という遠地の、そのような少人数の学校からのお心遣いには感動しました。

手紙を読んでいるうちに涙が出て止まりませんでした。大変うれしかったです。物やお金もさることながら手紙を添えて送ってくれたということには、送ってくださった方の心が伝わってきました。

人と人のつながりを感じ勇気付けられました。「さつき」の「つ」です。いまだに「いじめ」や「校内暴力」があり、心の教育が叫ばれている今、心の時代といわれる今日、学校においてこうした心を大切にする教育こそが重要であると思いました。

紋別北高校には生徒代表からお礼の手紙をお返ししました。

人のつながりときづなの大切さ

先にも触れましたが、震災の時は遠くの知らない人や長く会っていない知りあいからお見舞いを貰いました。とても嬉しかったです。

人と人のつながりを感じました。人は人とつながっていると思えたら生きる力が沸いてきます。

震災は不幸な出来事でしたが、このことを実感できたことは貴重な体験でした。

また、この震災ではきずなという言葉をよく聴きました。「さつき」の「き」です。人は一人では生きていけません。

人と人が支えあって、つながっていることを一言で「絆」と言ったものと思います。私たちは助け、助けられて生きているのです。

以上で私の話はおしまいです。「さ・つ・き」というお話をしました。ありがとうございました。