震災を語る

震災を語る 第39回

第39回「地震に備えて非常持ち出し袋の用意を」小澤 佐智子さん(人と防災未来センター・語り部)

私の体験

その時

地震の瞬間、私はとび起きました。すぐさま「地震よ、早く起きて!地震よ!」と父に呼びかけました。と同時にこれでは間に合わないと思い、手を引っ張り、父が起き上がったのと、枕元のテレビ、仏壇、部屋の隅にある大きな洋服ダンスが倒れ込んできたのが一瞬のことで、2人で部屋の隅にある太い柱の傍で布団をかぶってじっとしていました。その間も絶え間なく揺れ続け、家が壊れてしまうのではと心配でした。その時に、頭に浮かんだのは、小学生の頃、地震の時は「あわてて外に飛び出さない。」と習ったことで、このままじっとしている方が安全だと思ったが、不安が強まり、家の中で一番安全なのはトイレだと聞いたことを思い出し、トイレへ駆け込みましたが、天井は崩れ落ち、壁も便器も壊れていましたので、また、元居た太い柱の側に戻りました。

辺りが白み始めると、あちこちの家から人々が飛び出し、わいわいがやがやという声が聞こえ始めました。外へ出ようとしましたが、家具などが倒れ、出入り口を塞いでしまい、外へ出ることが出来ません。大声で「助けて下さい。誰か助けて下さい!!」と叫びましたが、誰も気づいてもらえませんでした。外の声はよく聞こえるのですが、私の声は全く外に届かなかったのです。

地震の時には、閉じこめられる場合のことを想定して、大きな音を出して、家の外の人に気づいてもらうことが必要です。ですから、笛と懐中電灯をいつも携行することの重要性を皆さんに伝えています。

生死を分けたのは偶然

近所の外科医さんは、偶々朝早く出かけるために、風呂場で髭剃りをしていて、地震の揺れが収まってから、寝室に戻ると、本棚が布団の上に倒れ込み、もしそこで寝ていたらと思うと、唖然としたそうです。

また、近所のお寺のお坊さんは、普段は、5時46分には本堂でお経を詠んでいる最中でしたが、その日は偶々、さぼって眠っていた。本堂は全壊しましたが、助かったとのことです。

母の友人の場合は、前夜からテレビを見ていて、そのままホームこたつの中で寝入ってしまい、地震の起こった時にとっさにコタツの中に潜り込んだのですが、足が出ていたところにタンスが倒れ、足を骨折し2ヶ月の入院をされました。

現金の大切さ

私は、地震の時も、普段から現金を持たなかったので大変困りました。銀行も郵便局も地震で壊れて開いていません。西宮に住んでいた友人は、自宅全壊で、財布を何とか取り出すことができましたが、西宮を離れて名古屋に向かったが、手持ちの現金が少なく、大変困ったとのことでした。

頼りになるのは自分の足と自転車

震災後、灘区から三宮にある会社まで、徒歩で1時間以上かけて通勤をしました。バスが動き始めても、徒歩の方が早いような状況でした。大阪に出るのも大変でした。三宮から大阪行きの高速バスが出ていましたが、1時間半から2時間待たないと乗れないという状況で、皆さんも長蛇の列を我慢して並んでおられ、東北の大震災でも外国の方から日本人は礼儀正しいと褒められたのも、まさにこのような日本人の我慢強さだと思います。

友人の大切さ

電車も通じていない中、生駒市から友人が私の住所を頼りに、避難所を探しあててくれました。無事を知ると、下着を紙袋一杯に入れて、再び私の居る避難所に届けてくださった。会社から戻って、その紙袋を見た時の感激は今でも忘れることができません。中にあったメモには、自分の住所と連絡先、そして何か欲しいものがあれば、電話してくださいとありました。交通手段も無い中2度も尋ねてくれたのを知り、友人の有り難さを身をもって感じました。

非常持ち出し袋の大切さ

震災後は、貴重品とともに食料品と水などを非常持ち出し袋に入れて、非常時の準備をいつもしています。食料品3日分の備蓄は誰にでもできることだと思います。皆さんにお伝えしていますが、その3日分はインフルエンザの流行の時や、台風の時にも大変役立っています。