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私の体験
不自由を余儀なくされた震災後、たくさんのご支援に助けられました
地震の瞬間、ベッドもろとも身体が宙に跳び上がって、大音響とともに床に落ちた瞬間、電気が消えました。縦揺れに続いて横揺れがきて、マンション10階の私の部屋は大きく速く揺れました。建物自体は比較的被害が少ない状態でしたが、部屋の中は割れたガラスや物が散乱していてとても危険な状態。ガスの元栓を締めに台所へ行こうとしたら、タンスが倒れてドアが開きません。管理組合の方に廊下の窓枠を外していただいて台所に入ると、冷蔵庫や食器棚、テレビなどが部屋の中央にピラミッド状に積みあがっていました。
しばらくして非常階段で外へ出てびっくり。電柱が斜めになり、家やお店が引き裂けるように壊れていました。街にはもう何もない状態です。親戚の家まで歩いて休んでいると、自治会長さんから「液状化現象が起きて、ガスタンクが爆発するかもしれません。山の方へ逃げてください」と何度も言われ、移動を余儀なくされました。それからは、避難所や親戚の家などを転々としていました。
交通手段はほとんど塞がれていたため、どこへ行くにも歩くしかありません。歩き疲れて道端に腰掛けていた時、自転車いっぱいに食料品などを積んだ女性ボランティアの方が食料品とカイロを分けてくださったのです。本当に助かりました。他にも、全国各地からたくさんの支援をいただきました。この場をお借りして、皆さんに「ありがとうございました」とお礼を申し上げます。
記憶はいつの日か曖昧に。「記録」したくてカメラを手に取りました
震災後、一番気にかかっていたのは震災の前年に他界した主人が残してくれた、主人の生家。普段は近所のマンションで暮らしていましたが、主人やその親に「この家は守り抜いて欲しい」と言われていたのです。様子を見に行くと、家は無惨に崩壊していました。「震災」とはいえ、悔しさで一杯。この家での思い出を風化させたくない…そう思った時、写真に残すことを思い付き、カメラを手に取りました。
用事で出掛けるたびに悲惨な状況を目にし、「これは、記録しておかなければ」という思いに駆られました。「みんな辛い思いをしているのに、そんな写真を撮るなんて…」と非難されることもありましたが、私には撮り続けることしかできませんでした。どれだけ辛いことでも、人間の記憶は曖昧なもので、少しずつ薄れていってしまいます。天災を防ぐことはできなくても、被害を最小限に食い止めるために、そしてあの出来事を忘れないためにも…私は写真を残しておいて良かったと思っています。
『定点撮影』が伝える、復興の歩み
震災後から撮りためてきた写真がアルバム18冊分になった頃、震災記録情報センターへ提供することになりました。事務局長から「この写真を、定点撮影という形であと10年ほど続けてみませんか」というご提案を受け、興味がありましたのでやってみることに決めました。
『定点撮影』というのは、被災直後と街が復興していく様子を同じ場所から撮影し、1995年にあった出来事を記録に留めていく作業です。「この状況を記録しておかなければ」という思いで始めた写真撮影なので、どこで撮った写真なのかはっきりわからないものもありましたし、街並みがすっかり変わってしまったところもあって、復興後の様子を撮影するのには大変苦労しました。それでも、壊れていた家やビルが復興した写真を見ると、何か救われたような、安心するような気がするんですね。
復興したように見える街並みの裏側にある「心の傷」
こうして撮り続けてきた写真を皆さんに見ていただくため、1998年から写真展を17回開催。神戸市や西宮市だけでなく、静岡県浜松市やブラジルのサンパウロ市でも開催しました。写真展を見ていただいた方からのご要望などもあって、2000年には写真集「翔け 神戸-阪神・淡路大震災の定点撮影」を自費出版(非売品)することになりました。
掲載している123軒のお宅やお店、会社へは、1軒ずつ回って掲載の許可をいただきました。中には震災の傷がまだ癒えていない方もいらっしゃって、やり場のない思いをぶつけられたこともありましたし、許可をいただけなかったこともありましたね。やる気が失せて中断したことも何度かありましたが、大切なものをたくさん奪っていった地震への強い怒りの気持ちがあったからこそ、こうして形になったのだと思います。この写真集は「個人で自費出版するのは構わないけれど、販売してもらっては困る」という方もいらっしゃったため非売品です。新しい家やビルが次々と建ち、神戸の街並みは復興したかのように見えますが、被災者の心にはまだまだ大きな傷が残っています。
全国各地から、写真集に対してのアンケート結果がたくさん寄せられ、地震への関心の高さを改めて思い知らされました。そこで、皆さんの地震への怒りや命の尊さに対する思いも風化させないためにと考え、アンケート612通を厳選して編集した「阪神・淡路大震災の追想、復興への叫び」も出版しました。こうして、地震についてたくさんの方が考えてくださるのは、大変ありがたいことです。
震災は「現在進行形の出来事」なのです
地震を防ぐことはできませんが、震災の様子を伝えていくことで、人災を減らしていくための努力を促すことはできると思っています。私が一番伝えたいのは、水の大切さ。飲み水はもちろんのことですが、火災を消すための水も大変重要です。「もし」という言葉を使ったらキリがありませんが、「大火事のあった長田地区にもし貯水槽があったら、多くの人の命が助かったのに…」と思うと残念で仕方ありません。
どんなに復興が進んでも、地震で壊された家や当時の街並み、そしてたくさんの命と思い出は永遠に帰ってきません。地震への怒りは収まりません。『定点撮影』のきっかけとなった自分の家はまだ再建できていませんが、いつか実現させたいと思っています。震災は過去のことではなく、まだ私たちの胸に深く刻まれている「現在進行形の出来事」なのです。
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