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震災を語る

【写真】小林 史郎さん
第30回「悲喜こもごも…人間の本質に触れた、2カ月間の避難所生活」小林 史郎さん(人と防災未来センター・語り部)

私の体験
マンションの7階から1階が見下ろせる、信じられない光景
あの朝、ドドーンと突き落とされるような力で、私はベッドから放り出されました。辺りはシーンとして真っ暗。幸いにして妻も娘も無事でしたが、マンションの7階だった我が家は大きく傾き、冷蔵庫もテレビもドアを突き破って隣の部屋へと飛ばされて部屋の中には物がめちゃくちゃに散乱していました。地震から3時間くらい後、早くも近所の青年たちが一軒一軒回ってボランティア活動を始めていました。鉄の扉が曲がってしまって開かない状態だったのですが、彼らの助けを借りてなんとか外へ出ることができました。

すると、そこには信じられない光景が待っていました。マンションの廊下がなくなって、1階が丸見え状態。しかも6階へ降りるための階段がなくなってしまっているのです。ありえない状況の中、妻も娘も泣き言1つ言わずに、青年たちが用意してくれた縄ばしごをつたって降りていきました。あちこちにX状の亀裂が入った壁を見ながらも、無事に地上まで降りることができました。ところが、ふと振り返ると2階が完全に潰れてしまって、3階と1階がくっついた状態になっているのです。警察や消防、自衛隊の方々の懸命の努力の甲斐も空しく、2階に住んでいた方々を救出することはできませんでした。辛い出来事でしたが、誰を責めることもできないのです。

何の抵抗もできないあの一瞬で、たくさんの命が奪われていきました。それが突然やってくるから、地震は恐ろしいのです。穏やかな瀬戸内に面した神戸という街に、まさかこれほど大きな地震が起き、鉄骨マンションの7階でこんな被害が起ころうとは思ってもみませんでした。

1杯の麦茶と優しい気配りに感謝しています
マンションには戻れないため避難所になっていた中学校の講堂へ行くと、そこは混沌としていました。ところが、その中で1人の女性が水筒の麦茶を配ってまわっていたのです。不思議なものでして、麦茶を1杯いただいただけで、ものすごくホッとしました。予想外の出来事の連続で神経の苛立っている方が多い中、そうして周りへ気を配ることができたこの女性は素晴らしかったと思います。

最初300人だった避難者は翌日600人にまで増えて、定員オーバーとなりました。やがて高校へ移動して、1つの教室を5~6世帯で共有する避難生活が始まりました。人が多いうえ水道水も出ないので、トイレには大変困りました。校庭に穴を掘っただけの仮設トイレは、いっぱいになったら埋めて他の場所にまた穴を掘ってつくる…この繰り返しでした。とくに女性は大変だったことと思います。

【写真】小林 史郎さんプライバシーのない避難所生活が教えてくれたこと
避難所生活中、何より大変だったのがプライバシーのない生活です。全く知らない家族同士が仕切りもない1つの教室の中で暮らすのです。食事の仕方や生活習慣…言い始めたらキリがなく、あらゆるものが気になってきます。声も筒抜け状態ですから、気をつかってしまい話したいことを話せないという状況にもストレスを感じました。

私のいた教室には、高校受験を控えた息子さんを抱えたご家族がいました。もともと勉強はするけれど、家の手伝いや家族との会話を楽しむということをしていなかった息子さんで、自分の殻に閉じこもり気味だったようです。それが突然、見知らぬ家族と生活をともにすることで勉強にも集中できない状態になり、相当ストレスが溜まったのでしょう。心のケアのため、早々に避難所を離れていかれました。

あの避難所の環境は、私でも耐え難いものがありました。普段からわがままを許されていた少年ですから、心を壊してしまったのでしょう。日頃から何かに耐えて人と協調するといったことができていないと、緊急時には耐えられません。どうか皆さんには、強く生き抜く精神力を養っておいていただきたいと思います。それは緊急時に限らず、普段の生活や人間関係の中にも必ず活きてくることですから。

2人に幸あれ-避難所生活中の嬉しい出来事
そんな避難所生活ですが、嬉しい出来事もありました。結婚直前に被災されたある娘さんが、わずかに持ち出せた花嫁道具のお布団を教室の隅に置いていたのですが、しばらくして教室から嫁いでいくことになったんですね。その前夜、ささやかではありますが祝いの食事会を開いて『乾杯』という歌を贈りました。旦那さんは毎日様子を見に来ては、そっと娘さんの側にいた優しくしっかりした方でしたので、きっと2人は幸せに暮らしていることと思います。

2カ月間の避難所生活でしたが、悲しいことも嬉しいことも本当に色々ありました。弱さ、優しさ、妬み、慈しみ…人間の本質をまざまざと見せつけられたような気がします。日頃の生活や気持ちのあり方が大切であると改めて感じた、貴重な体験だったと思います。

仮設住宅のありがたさと、ボランティア活動ができる喜び
何度か落選していた仮設住宅の抽選に当たった時には、何も話していないのに「仮設住宅に当たったんですね」と言われるほど満面の笑みになっていました。家族3人が暮らす新しい部屋のドアを開けて、最初に目に入ったのが青い畳。白いお米と毛布もありました。思わず3人抱き合って泣き、助けてくださった皆さんに感謝しました。

しかし仮設住宅には、「孤独死」が身近な問題としてありました。そのほとんどが男性であったことも、悲しい事実です。そこで、仮設住宅の有志の方々と協力して、高齢者や障害者をサポートするボランティア団体を結成。たくさんの方々に助けていただいたお礼として、こうした活動ができることに喜びを感じました。

【写真】小林 史郎さん 心の傷を癒すことができるのは「優しさ」
震災によって住めなくなってしまったかつてのマンションを再建するため、全国各地に散らばっていた住人たちが集まっては、話し合いを重ねていきました。そして震災から2年11カ月、元の場所にマンションを再建し、私たちは震災前の暮らしに戻ることができました。そうやって目標ができたおかげで、気持ちが衰えることなく今まで頑張ってくることができたのだと思います。

借金や身体の傷はいつか消えていきますが、心の傷というものはなかなか癒えないもの。それを癒すことができるのは、「優しさ」ではないでしょうか。だから私は「心の優しさの配達人」になって、その手助けをしていきたいと思っています。

(インタビュー 2006年6月2日)