震災資料語り〜ものがたり〜

No.16

投稿日:2017.11.09(木)

思い出したくない地震と、思い出のつまった壺。
15年間をつないだガムテープ。

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割れた壺

資料番号:441-001001

寄贈者:K氏

この壺は、寄贈者の女性の結婚祝いに贈られたものです。夫はフランス人で、北野の異人館街の近くでともに暮らしていましたが、震災以前に亡くなりました。夫との思い出の品として寄贈者がとても大切にしていた壺は、地震によって割れてしまいました。震災のショックで何も手をつけられなくなった寄贈者を気遣い、フランス人の家族や友人達が部屋の片づけを手伝いました。この壺も手当され、その時に貼られたガムテープが残っています。

震災を思い出したくないために、寄贈者は長い間この壺を見なかったそうです。再び壺に向き合ったのが、阪神・淡路大震災15年目の年。震災を伝える記録の一つとして残してほしいという想いを込めて、写真とともに寄贈されました。

関連情報

K氏は震災当時、山本通2丁目に住んでいました。山本通と北野町には神戸開港以降、多数の外国人住宅が建てられ、異人館街として親しまれています。昭和55年(1980年)には重要伝統的建造物保存地区に指定されています。震災前には指定外のものも含めておよそ80棟の異人館が残されていました。

平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災では倒壊した建物はなく、また火災も発生しませんでした。とはいえ、屋根瓦や煙突の落下、壁や天井の剥落、煉瓦塀の倒壊など、伝統的建造物に指定されていたすべての建築物に何らかの被害が発生しています。

被災した建物のうち、伝統的建造物に指定されているもののほとんどは、補助金によって所有者の負担を軽減したうえで修復が行われました。しかしながら、指定外の建造物にはそうした公的助成制度がないため、修復されず解体に至ったものもあります。解体された建築物は、神戸市教育委員会が把握しているだけでも11棟。K氏宅もその中に含まれていると思われます。

被害を受けた建物が多かったものの、平成9年(1997年)には従前の9割の施設が公開されるようになっていました。平成10年(1998年)には旧北野小学校校舎を利用した「北野工房のまち」がオープンしたこともあり、訪れる観光客も震災前の約9割まで回復しました。

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