震災を語る 第1回
私の体験
震災当時、私は神戸市北区に住み、芦屋市建設部長として働いていました。ここでは、役所での体験を中心に語りたいと思います。
10キロを徒歩で出勤
地震のあったときは、神戸市北区にある自宅で就寝していました。今から思えば、地震の揺れは、12、3秒だったのですが、実際には1分も続いているように感じたのです。地震直後、まずは家族の安否を確認。全員無事で、まずは助かったという思いで、ほっとしました。神戸市北区は神戸の中心街から離れています。地震当初はまさか大惨事に見舞われているとは思いもしませんでした。
家族の安否がわかった後は、すぐさま市役所に出勤準備にかかりました。たまたま、近所に住んでいた市職員の車で市役所に向かったのです。ところが、道は車が通れるような状態ではありません。結局、歩いて10キロ先の役所へ行くことになりました。同行していた市職員は、自宅へ車を戻しに帰宅しなければならないことになってしまったのです。これは今から思えば、大失敗だったと思います。
私が歩いた10キロの道のりは、あちこちに遺体があり、助けを求める人がいて、まるで地獄のようでした。役所に着いたときは、昼を回ってしまいました。
この日、出勤できた職員は42%。私はこれから2カ月間、自宅に帰らない日々を過ごします。
大切なのは、災害時のリーダーシップ
1月17日は、副市長が地震直後の6時20分に出勤、いち早く指揮を執っていました。市長は自宅が倒壊していたのです。ここで副市長は的確な「4つの指示」を出すのです。今から思えば、この指示とリーダーシップが今後の救援活動に大いに役に立ったと思います。
4つの指示
・建設部関係職員100人は消防職員と共に救命活動
・小学校に救護所を設置
・お寺にご遺体を安置
・棺桶を100個注文
3日間で感じた、自主防災の重要性
救命活動は、3日間続きました。ここで、私たちが行った救命活動のデータから、生存者を助けられるかどうかの勝負は1日目だったことがわかります。
1日目 82人救助、生存者60人
2日目 22人救助、生存者5人
3日目 19人救助、生存者なし
実際私たちが助けた方々は、ほんの一部で、そのほとんどは近所の方々に助けられています。
とにかく、大災害のときは、消防、警察、市職員はすぐさま現地に到着できません。近所の人の協力がなくてはならず、市民の皆さまには自主防災の意識を持っていただくことがとても大事なことなのです。
続々と届く救援物資、そして助けになったボランティアの力
水と食料をどう確保するか
当時、芦屋市の人口は8万7,000人いたのですが、このうち2万人が、52カ所で避難していました。避難所では、まず水と食料をどう確保するかが問題になりました。大至急、奈良県御所市市長さんにお願いをし、翌日から2月11日まで、奈良県民の皆さまに、1日2万~3万個にもなるおにぎりを送っていただいたのです。
水と食料をどう確保するか
この後、救援物資はさまざまなところからたくさんいただいたのですが、次に問題になったのが、救援物資の保管場所でした。とりあえず、市役所地下2階に置いたのですが、その次は荷物の積み下ろしに苦労することになりました。次から次へと問題がでてくるのです。
このとき、私たち市職員は、3日3晩の徹夜で体力も限界でした。そこで、助けられたのがボランティアの方々だったのです。この後のボランティアの受け入れは、とても重要だったと思います。
被災者が一番困ったのは、トイレの問題
被災当時、1つの避難所には1,500~2,000人の人たちが避難しており、立錐の余地もないくらいでした。ここで意外な問題だったのが、トイレの問題だったのです。地震で断水しているため、水洗トイレはものすごい状況でした。そこで、全国から仮設トイレを持ってきてもらうことにし、バキュームカーをフェリーで全国から運んでもらうことにしました。
ちなみに、震災後に被災者に実施したアンケートによれば、一番困ったことの第1位はトイレ用水でした。第2位は水と食料、第3位は電話の不通。水と食料よりも、トイレの問題は深刻だったのです。
今からはじめよう! 防災対策
芦屋市では、震災後、被災者に向けたアンケートを行っています。このアンケートは、今後役に立つ課題・対策を私たちに教えてくれます。
被災時に役に立ったものベスト3
第1位 懐中電灯
第2位 携帯ラジオ
懐中電灯、携帯ラジオは枕元に置くだけではだめです。大規模な地震では5メートルくらいは枕元から飛んでゆきます。ベッドにくくりつけたり、枕元に固定にしておくなどの対策をしておいた方がいいです。
第3位 バケツ、お風呂に水をためておくこと
湯水は一晩置いておくのがおすすめです。水は、トイレ用水に役立つのです。
最後に・・・
私は、地震当日に何とか役所に出勤でき、対応ができたのですが、これも家族の安否が確認されてこそできたことだと思います。
たとえば、もし昼に地震がおきていたら、家族全員がどこに逃げてどこで集合するのかがわからず、パニックになっていたのではないでしょうか。
いくつか防災対策をお伝えしましたが、日ごろから、家族みんなで避難所を確認しておくのも大切なことだと思います。
インタビュー 2004年9月17日(2022年10月1日 修正)