震災を語る 第16回

震災を語る 第16回

私の体験

その時、私はドイツ滞在中。家内は自宅で家具の下敷きに

私は70年以上生きてきた中で、いくつかの大きな地震を体験しています。子どもの頃には大阪で、1989年には海外出張中のアメリカ・サンフランシスコで「ロマプリータ地震」を体験。阪神・淡路大震災の前年(1994年)には、ロサンゼルスで「ノースリッジ地震」にも遭遇しました。阪神・淡路大震災が起きたその時は、仕事の関係でドイツ・ミュンヘンにて開催されていたフォーラムに参加中。夜のテレビの特別ニュースによって一報を知りました。

神戸市東灘区の自宅で留守番をしている家内へ即時に国際電話を入れましたが、元より通じるはずはありません。取るものも取りあえず帰国を急ぐことにしましたが、日本への便はすべて満席。地震から3日目の1月20日午後、ようやく関西空港に降り立ちました。大阪を回って尼崎から倒壊した家々の間を歩き、西宮そして芦屋を抜けて御影(東灘区)にたどり着いた頃には夜半になっていました。自宅のある鉄筋コンクリート5階建てマンションは、半壊状態。室内は手の付けられないほどの損壊の有り様でした。しかし、多くの被災した方から見れば軽微な被災であったといえましょう。

家内は倒れた大型のタンスの下敷きになり、頭・顔から胴体、そして足の先まで打撲による内出血と肋骨にヒビが入った状態でした。内出血による皮膚の黒ずみがすべて消えたのは、11カ月後の年末頃になってからのことです。

帰国翌日からスタートした、被災者の救援と奉仕活動

私の本業は、経営コンサルタント。大阪に会社を置いていましたが、顧問先企業の被災損害もあってしばらくは休業せざるを得ませんでした。震災当時、私は財団法人・兵庫県青少年本部の評議員、また兵庫県青少年団体連絡協議会副会長の任にあり、また1973年からは青少年育成団体(ボーイスカウト)の指導者として役員の立場でもあったことから、帰国翌日の1月21日より被災者の救援活動や奉仕活動にあたることにしました。

私の基本的な活動はコーディネーターでしたが、机に向かってできることではなく、1日の大半は現場に出向いていました。22日には兵庫県救援対策本部に編入され、その日からは所属団体のボーイスカウトを中心とした高校生・大学生・成人リーダーによって公共避難所(学校、体育館、公民館など)だけではなく、公園・河川敷・空き地などに避難している被災者の方々への救援・支援活動も展開。ボーイスカウト日本連盟と46都道府県連盟に救援ボランティアとしての来県を依頼したところ、結果として7月までの6カ月間で延べ1万6,000名を上回る大きな支援をいただきました。

体調を崩して緊急手術。実は…

【写真】小倉 侃さん

震災からの数カ月は、毎日早朝の2時間を家の片付けや水汲みなどに費やし、8時半から夜半までは救援・支援活動に従事させていただきました。不眠不休のせいでしょうか、5月になって何となく身体がだるくなり、病院で診察を受けました。診断結果は、強度の疲労とストレスからくる急性穿孔性白苔性胃潰瘍。「即時に切除手術を」との指示を受け、胃のほぼ90%を切除する緊急手術となりました。家内と息子は告知を受けていたようですが、それが「胃ガン」であったことを私が知ったのはずっと後になってからでした。

45日間にわたる入院生活中も、同志のコーディネーターが病室に来てくださり、支援活動の報告と打ち合わせをきちんと続けることができました。退院すると翌日からすぐに復帰。実務をやる人が他にいなかったこともあり、周りからも早い復帰を望む声があがっていましたので夢中でしたね。支援活動と並行して、一連の活動の残務整理と団体としての「日本ボーイスカウト兵庫連盟 阪神・淡路大震災救援対策本部ならびに復興委員会」として410ページにわたる公式報告書の執筆・編集・発行を担い、直接的な救援・支援活動の終息を迎えたのは1年後くらいだったと思います。

「何とかする」ために活動しています

震災のずっと前から「危機予知訓練」の勉強を多少なりとも体験してきていただけに、震災当時、こうした経験は本当に役立ちました。「被災者の方々のご希望があれば、何とかする」という気持ちで常に活動しましたが、当然何とかならないこともあります。そうした場合にもきちんと説明・説得してトラブルを乗り越え、地域差こそありましたが、皆さんに感謝していただけたことは何よりの喜びでした。今後も災害はあってほしくないのですが、各地で発生した場合には「所属団体ボランティア」の一員として、また「兵庫県災害救援ボランティア」として、阪神・淡路大震災の教訓を大切にして現地活動に参加させていただいています。

ボランティアに参加する側の心得とは

皆さんの中には、災害時のボランティアに参加してみたいとお考えの方がいらっしゃるかもしれません。力仕事や建築・工事経験者の方、また飲食店などを自営されている方は知識・技能面を活かして活躍いただけると思います。その他特別な技能や知識のない方でも、テントの用意から設営、トイレの穴掘り作業、飲料水の確保など、現地でご協力いただきたいことはたくさんあります。

その際に、ご注意いただきたいことが3つあります。まず、手を挙げたからには積極的に取り組むこと。1人でもそうでない方がいると、全体の活動にブレーキがかかってしまうため、最後まで自分の行動には責任を持っていただきたいと思います。そして、日頃から救援・支援のために必要な知識や技能を身につけ、それを繰り返し学習しておくことです。これは、私たちが勉強していた「危機予知訓練」と同じで、いざという時に大変役に立ってくれるはずです。最後は「自己管理」。自分のことをしっかり管理できてこそ、皆さんのお力になれるのです。

なかなか現地までは行けない、という方からは物資の支援をいただくことも多くあります。しかし、被災地で必要とされている物資と送ってくださる物資は必ずしも一致せず、また必要な場所に必要なだけ届かないケースも見られ、非常に難しい問題でもあります。わずかであっても、やはり一番喜ばれるのは現金での支援。それぞれに必要な物資を購入できることはもちろん、ボランティアスタッフが支援にあたるための現地交通費など、さまざまな使い道があるのです。

「お返し活動」として、震災のことを伝えたい

【写真】小倉 侃さん

日本ボーイスカウト兵庫連盟の名誉連盟長を務めていらっしゃる貝原元兵庫県知事のお考えもあり、被災時にたくさんのご支援をいただいたお返し活動をしようと、センターでの語り部活動をはじめました。私は阪神・淡路大震災を直接体験していない唯一の語り部で、何だか心にわだかまるものもあり、また申し訳ない気持ちでいっぱいです。

自然災害は、社会災害です。子どもたちや震災を体験していない方々、そして県外の方々に震災のことを伝えていくことで、少しでも考えるきっかけになってくれればと思っています。

(インタビュー 2006年4月20日)