震災を語る 第27回

震災を語る 第27回

私の体験

地震の時は、四つん這いになって数を数えました

台風や地震・火山現象など、人を寄せ付けない自然の威力について、私は日頃から強い関心を持っていました。震災前年(1994年)の11月頃、神戸市から北東40キロあたりの兵庫県猪名川町付近で群発地震が発生した時は不思議に思い、ちょっと気になっていました。すると翌年の1月10日、「関西地方でも大地震が起こる可能性があるので、要注意」との小さな記事が出ました。大地震は、それから1週間後。1月17日(火)午前5時46分に発生した、阪神・淡路大震災です。

私が2階で寝ていると、いきなり家が大きく揺れた感じがして、びっくりして布団から飛び起きました。四つん這いになって、1、2、3、4、5…と数を数えていったのです。周囲は暗くてよく見えません。ガタガタ、ドンドンという激しい横揺れに心臓も慌てています。隣の部屋ではタンスが倒れ、バタバタと屋根の瓦が落下するような連続音。その時、窓がフラッシュのようにパッパッと光りました。恐ろしくなって20ぐらいまで数えたところで止めました。「大きい、大きい!」と叫び、家が潰されそうな恐怖と闘いました。神戸でこんな大きな地震が起こった…信じられない気持ちでしたね。

嬉しかった、隣人のご親切

神戸市北区の築5年の家はとにかく激しく揺れましたが、幸いにも家族は無事でした。停電であたりは真っ暗。外で人の声がしたので表に出てみると、「ものすごく怖かったね」と近所の人が集まって話をしていました。すると、そこへ余震が。思わず「怖いわー」と叫んでしまいました。近所の犬は怯えて、家に入れてくれと飼い主にせがんでいます。そんな時、隣人から「屋根がずれていますよ」と指摘されて驚きました。まだ新築の家ですが、壁のあちこちに亀裂が入っているのです。「これは大変、でもどうしたものか…」と思っていたところ、隣の方が、ご親切にブルーシートを屋根に張ってくださいました。嬉しかったですね。

あの時、母が寝ていたら…実家の被災状況とは

【写真】近藤 武士さん

私の両親は神戸市灘区に住んでおりました。地震の後、実家に電話をしてみましたが音信不通。どうしているだろうかと思っていた午後2時頃、父の叫ぶような声が届きました。「家は潰れたけど大丈夫や。お母さんはちょっとケガしたけど大したことはない。まるで戦争やで…空襲よりもひどいわ」。

後日、実家を見て唖然としました。このあたりは震度7を記録した地域。どの建物もバキバキに折れ、完全に崩壊しているのです。実家は2階部分が隣家にスライドした状態。家の真ん中が陥没し、1階の天井が2階の部屋を突き抜け壁に垂直になって止まっていました。2階のベッドに寝ていた父は、夢の中での出来事だったそうです。1階に寝ていた母は、地震発生の1分前に目が覚め、トイレの中で地震に遭いました。寝ていたら、大変なことになっていたと思います。土壁の下敷きになりながらも、母は近所の青年たちによって30分後に救出していただきました。

映画でしか見たことのない世界が、現実となっていました

震災当日の午後4時頃だったでしょうか。神戸の街を見渡せる展望台から、市街地の様子を見ました。それはもう、ゴジラ映画そのもの。町中が埃に包まれ、あちこちに火事の煙があがっています。空気の焦げた臭いが広がり、取材ヘリコプターの爆音と消防車や救急車のサイレンが鳴りっぱなし。これが現実かと、私は衝撃を受けました。それでもいまは、見ておいてよかったと思っています。自分のこの目で見ること、そして現場で考えるということは、非常に大切だと思います。

地震の前兆現象は、私たちへのサインなのです

皆さんは、「地震の前兆現象」というのをご存知ですか? 私は何より、実際に地震が来るのを構えていたご夫婦がいたことに驚きました。この方は震源地付近の高台にお住まいで、竜巻状の雲や赤い月、鳥の異常な動きを観察し、大地震発生の前日には小さな地震とゴーという地鳴りを聞いていたのです。

このことから、日頃より自然をよく観察し、考える姿勢が必要ではないかと思います。守るべきは命。自分の身体は、自分で守らなければなりません。雲の形や月の色、海の変化、生き物の様子などにいままでより意識を向けて感性を鍛えていただけたら、それはきっと「備え」につながるものと思います。また、危険領域からの脱出にはとっさの判断と体力も欠かせません。自然と対峙するだけでなく、スポーツや野外活動を行って身体を鍛えておくことも有効です。「地震の前兆現象」については、研究者があまりいないようで非常に残念です。これから発展してほしい分野ですので、研究が盛んに行われていくよう期待しています。

貴重な体験と私なりに勉強してきたことをお話ししたい

【写真】近藤 武士さん

震災の時、身近な人はもちろんのこと、遠方からもたくさんの支援を受けました。ヘルパーさんたちに、心を勇気づけられたことも何度もありました。私の場合、幸いにも無事でしたので、震災も貴重な体験だったと思っています。あの時体験したこと、色々と勉強したことなどをお話しすることがあってもいいのではないかと考え、いまこうして語り部をやらせていただいています。

日本列島の地形は、地震によって作られてきました。この国では、これからも地震を避けることはできません。21世紀は「大地動乱の時代」と言われ、いつ大きな地震が来てもおかしくない状況とされています。そうした中において、地震への備えこそが私たちの大きな課題ではないかと思います。

(インタビュー 2006年5月21日)