震災を語る 第28回

震災を語る 第28回

私の体験

わずかな隙間に助けられた夫婦の命

地響きとともに天井が落ちてきた時は、飛行機が落ちてきたのかと思いました。地震の少し前に目は覚めていたので、地響きがする直前まで人の営みの音を感じながら布団に横になっていました。ところが、揺れの直後からは、恐ろしいくらいにシーンと静まり返っているのです。おそらく、私だけでなく誰もが事態を把握するのに手間取り、余震のために行動するのをためらったことと思います。

暗闇の中を手で探ってみましたが、隣に寝ていたはずの妻に手が届きません。声を掛け、ケガ1つせずに生きていることを確認できた時にはホッとしました。しかしケガがないとはいえ、私たちの寝ていた木造住宅の1階部分は完全に崩れ落ちています。バイクや塀のブロックが挟まってできたわずかな隙間が、奇跡的に命を救ってくれたんですね。もちろん、身動きは取れませんでした。

柱がずり落ちてきて身体を圧迫。右手一本で済むのなら…

1時間ほどして、2階から脱出した息子の叫ぶ声が、妻の耳に届きました。夢中になって息子の名前を呼びましたが、私たちの声は家の中にこもってしまって、気づいてもらえません。そうこうしているうちに、私たちが避難所の方に行ったという噂を聞いた息子は、離れて行ってしまったのです。あの混乱した状況下ですから、人違いがあっても仕方ありません。

「きっと救助が来るから」と、妻と励まし合って待つことしかできませんでした。しかしその間にも、余震が起こる度に私の身体のすぐ上にある柱がずり落ちてきます。圧死から逃れるため、仰向けだった身体を横向きにしましたが、徐々に柱が迫り、全く身動きできない状態に。腰と柱の間に挟まった右手も、しびれて感覚がなくなってきました。それでも、右手一本で済むのなら…という思いもありました。それに、息子は生きているし、妻も埋もれてはいるけれどまだ空間にゆとりがありましたから「きっと助かって生きていける」という希望が湧いてきました。

皆さんの力によって助けられた、夫婦の命

【写真】倒壊した家屋

しばらくして、また息子が戻ってきてくれたので、唯一動かすことのできた右足でコタツを蹴り上げてみました。その音で息子に気づいてもらえた時の感動は、何とも言えないものがありました。
さっそく消防署に助けを求めましたが、同じことを考えた住民が殺到しており、すべてに対応することは不可能な状態。生きている可能性がある人の救助が優先され、声も聞こえず姿も見えず、生死がはっきりしないところへは来ていただくことはできませんでした。

そこで、息子と友だちの2人で、板切れなどを使って壁に穴を開け始めたのです。その姿を見て、近所の方たちも手伝ってくださいました。さらに幸いなことに、お隣の大工さんの家が壊れずに残っていたので、ハンマーやのこぎりを貸していただいて、なんとか私の足が見える状態に。足が動いて生きていることを確認すると、改めて消防署へも助けを求め、皆さんの力によって救出していただくことができました。

守るべき人がいたことは、心強かったですね

7時間も瓦礫の中にいたため、救出された時には酸欠で意識が朦朧としていました。ただ「外は明るいな」と思って、やっと安心できたことを覚えています。外の状況も何もわからないまま、暗闇で過ごした7時間は…尋常ではありませんでした。

1人きりだったり、どちらか一方でもケガを負っていたりしたら、気力が持たなかったかもしれません。それが幸いなことに、妻と2人でいられたことで、冷静になることができました。互いを守ろうという思いがあり、励まし合うために、弱音を吐かなかったのです。「きっと大丈夫」と妻に言いながら、自分自身にも言い聞かせていました。

相手のためにも生き抜かなければならないという強い気持ちが、希望につながっていたのでしょう。もともと仲の良い夫婦でしたが、この暗闇の7時間でさらに絆が深まったように思います。

心も身体も元気になった「今」だからできること

震災当時は52歳。まだ若かったので、震災で抱え込んだものを気力で跳ね返そうと、定年までの8年間はそれまでの2倍も3倍も働きました。そして今、おかげさまで心も身体も元気になり、特別なことはできないかもしれないけれど「自分にできることをやっていきたい」と思い、語り部活動を続けています。当時を思い出すのは辛いことではありますが、だからといって忘れてしまうわけにはいきません。被災地の様子や水の大切さなどをお話ししていく中で、震災について関心を持って欲しいのです。センターを訪れた方の心の中に、どんなことでもいいから何か1つ残ってくれたら幸いです。

助けていただいたこの命を、困っている方のために役立てたい

【写真】荻野 恵三さん

2004年10月の豊岡水害の時には、ボランティアに行ってきました。家の中に溜まった泥をかき出す作業を手伝ったのですが、予想以上の重労働。足手まといになっては申し訳ないので、2日間滞在する予定だったところを1日で切り上げざるを得ませんでした。

何かが起きてから急に動こうとしても、身体がついていきません。困っている人を助けに行くには、まず自分の体力と精神力を鍛えておかなければならないと思い、私は阪神間を自転車で移動することに決めました。ご近所はもちろん、さまざまな形で全国各地の方々から助けていただいた命ですから、どこかで困っている方がいたら、いつでも少しでも役に立てるようにしておきたいと思っています。

(インタビュー 2006年6月1日)