震災を語る 第44回

震災を語る 第44回

第44回 被災地の悲しみを忘れず、やさしさわすれないで、心を届けること。 佐々木 勉さん(人と防災未来センター・語り部)

自己紹介

1995年1月阪神淡路大震災発生。直後、私はすぐに、勤務先の神戸市立二葉小学校 (現在は駒ヶ林小) に駆け付けました。
学校周辺は火災が発生し、校区の8割が全半壊・全半焼。学校長中心に、まず、児童の安否確認と、避難されている方々からの課題を、一つ一つ避難者自治会・行政の担当者等と相談しながら、対応。
1996年度より4年間、教育復興担当教員の任を受け、子どもを中心に、学校・地域・家庭保護者・避難者自治会・行政のネットワークづくりに尽力。そんな中で「自分たちも何かしたい」 との子どもたちの思いを感じた。子どもたちにとって、地域の方々と一緒に行動することが力になると実感。 
1995年7月の健康診断で腎不全と診断され、翌年10月から、夜間の人工透析治療を開始し。それからは、週3日(月木土)透析治療を続けながらの教育活動となり、家族、同僚、周りの方々の応援を受けながら、「だからこそ」の気持ちで、二葉小学校の子どもたちの成長を願って、取り組んだ。透析10年目、妻からの生体腎移植を受け、現在に至る。
地域・保護者の方々には、1・17の震災体験学習では、毎年すべての学級で語り部講師をお願いし、また、他校の生徒と一緒に学ぶ交流震災体験学習では、町の現場で当時の体験を話して頂いた。震災3周年 「やさしさわすれないで」 の記念碑の除幕式を、当時の6年生が作詞作曲した「明日に向かって」を歌いながら行った。「教育復興担当教員だより」 (通称復興担だより)で1996年から4年間、保護者・地域あてに、子どもたちの頑張りや地域との連携の様子を発信した。
退職後は、語り部ボランティアとして、ふたば学舎(旧二葉小学校)・阪神淡路大震災記念 「人と防災未来センター」 ・2005神戸の絆・出前語り部等で活動中。

  

語り部ポイント

●阪神淡路大震災発生直後の二葉小学校周辺

火煙の上がる中、火災の火が迫った二葉小学校

駒ヶ林中学校教員作成の被災マップ    まちの様子

●二葉小学校避難所を支えて下さった避難者自治会とボランティアの活躍

  二葉小学校避難所の連携・協力

  避難者、地域の協力で実現できた「トイレ問題の解決」

  避難者の協力で実現した、お別れ遠足のお弁当

  ボランティアの協力で、自分の学校の講堂でできた卒業式

     いただいたやさしさと 自ら発信するやさしさと 両方を大切に
     生きようとする 子どもたちの思い

●二葉小学生 「二葉ボランティーズ」 の活躍
 
  月曜朝の学校周辺のそうじボランティア  かたたたきボランティア

  仮設住宅への行事案内状ボランティア  トルコ・台湾・四川地震募金

  震災3周年を記念して 記念碑 「やさしさわすれないで」 製作

二葉ボランティーズの活躍の様子

●(二葉小児童が進級する)駒ヶ林中学生の活躍

  ネバーギブアップ    「駒中ふれあいボランティア」の活動

  地域復興に貢献した「駒中太鼓」  「駒中ふれあい広場」

    1997年2月 日本海沿岸の油除去ボランティアに駒中生25人が参加
  

●当時の小学生は その後、10年、15年、20年と節を刻んで

●東北・熊本との交流

2011年3月東日本大震災発生 6月東北を訪問 
    気仙沼市立階上中学校との交流が始まる.

気仙沼市立階上中学校の取組 
  東日本大震災発生5年前から 「中学生を未来の防災戦士に」とのテーマで防災教育に取り組む
  発生の日、OB生が階上中学校避難所に駆け付け活躍

  釜石の中学生 「釜石の奇跡ではなく、釜石の実績です」

  2016年5月熊本地震発生 7月熊本訪問
  益城町総合体育館避難所 広安西小学校等訪問

  今後も、被災地に出向き、その地域の方々と共に歩みたい

●語り伝えたいこと
  
  阪神淡路大震災から学んだこと

  ・ 命を守るために、今できること――わが家の点検等
  ・ 日ごろから、近隣・地域との交流を

  子どもたちはすごい力を持っている

  ・ 小中高生は地域回復の原動力
  ・ 地域の大人たちの声かけで、子どもたちは力を発揮

  語り部から皆さんへ

  ・ わが家の防災リーダーに
  ・ 青年時代に、ボランティア体験を重ねよう