震災資料語り〜ものがたり〜

No.11

投稿日:2017.11.09(木)

経験のない小学生が、自転車で日本一周の募金活動。仮設住宅のおじいちゃんを助ける!
その心が多くの人を動かした。

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阪神・淡路大震災を忘れないで!童話『地球が動いた日』被災者救援募金で使用された自転車

資料番号:326-001001

寄贈者:矢崎正道氏

平成9年(1997年)の夏休み、小学生の兄弟が自転車で日本を一周しました。この自転車は、兄の正道さんが使われたものです。矢崎さん一家は芦屋市で被災されました。その後、小学校に建った仮設住宅に暮らすおじいさんから、お金が無くて生活再建が難しいことを聞きます。なんとかお金を集めようと幼い兄弟は考え、自分たちの体験が描かれた児童書と、テレビのチャリティーマラソンに着目しました(矢崎兄弟の被災体験は、両親の希望もあり、知り合いの作家によって『地球が動いた日』という本になっていました)。全国を回ってその本を販売し、収益の一部を支援にあてることになりました。ご両親や周りの人々に支えられ、一年間のトレーニングの後、ふたりはトレーナーとともに日本一周を達成。募金額は300万円を超えました。

翌平成10年(1998年)には、回りきれなかった東北地方、洪水被害にあった内モンゴルも自転車で走破。人を助けたい想いを持って立ち上がった子どもたちに、世代や国籍を超えた多くの人々の協力と応援が寄せられ、たくさんの感謝が生まれました。ふたりの震災体験、仮設での出会い、自転車旅行の出発までが綴られた児童書『走るんや!』も新たに出版されました。

関連情報

矢崎兄弟のいた芦屋市には、40ヵ所2,914戸の応急仮設住宅が建設されました。市内の仮設住宅から入居者がいなくなったのは、地震発生から3年半ほど経った平成10年(1998年)8月。解体・撤去が完了したのは翌年3月でした。

そもそも仮設住宅とは、災害救助法に規定されている被災者救助の種類のひとつとして供与されるものです。避難所から恒久的な住宅へ移るまでの一時的な住宅とされており、発災から20日以内に着工することになっています。阪神・淡路大震災の際は、発生から3日後の1月20日に最初の建設が始まりました。供与期間は最大で2年間とされましたが、期間の延長も認められていました。阪神・淡路大震災のときには3回延長され、最後の退去は平成12年(2000年)1月でした。

仮設住宅は一か所に複数戸をまとめて建設するため、公園や学校のグラウンドなど、広い空き地が求められます。とはいえ、学校のグラウンドは本来児童生徒の教育などのためのものです。一時的であっても、あまりたくさんの住宅を建てるわけにはいきません。実際、震災時に建設された634団地のうち、学校のグラウンドに建てられたのは2.8%の18団地にとどまっています。ほかの仮設住宅は公園やスポーツ施設、事業用地などに建てられました。芦屋市は、ほかの被災地と比べると学校のグラウンドに仮設住宅が多く、8団地が建設されました。市域が南北に細長い上に六甲山地に迫られているため高低差が激しく、広い空き地の確保が難しかったことが原因と考えられます。

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